北海道立近代美術館

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ガラス工芸

ガラスが持つ硬質感、光を反射・透過してキラキラと輝く美しさは、〈厳しい冬〉〈雪〉〈氷〉といった北海道の風土的なイメージに結びつく。当館が準備室時代にガラスを収集対象に定めたきっかけは、この風土との親和性にあった。また当時、ガラス造形への関心が高まり国際的な展開が見込まれたこと、さらにガラスの収集を通じて愛好家や作家が育ち、地場産業の振興につながればという期待もこの決定に与っていた。

収集と並行して当館ではガラスに関するさまざまな展覧会を開催してきた。

国内外の動向を5回にわたって紹介した「世界現代ガラス展」、歴史的展開を跡づけた「日本のガラス造形・昭和」「ガラスの美2500年」といった展覧会は、作家や作品を幅広く系統的に調査し、すぐれたコレクションを形成する絶好の機会にもなった。
当館のガラス・コレクションは国内屈指の内容を誇る日本近代のガラスをはじめ、ヨーロッパ近代のガラス、世界の現代ガラスによって構成されている。

令和6年3月末現在、「ガラス工芸」の収蔵作品数:1,259点

エミール・ガレ《鯉文花器》

フランス東部ロレーヌ地方ナンシーに生まれたガレは、生涯この街を拠点にガラス、陶器、家具を制作。自然主義、ジャポニスム、象徴主義といった時代の動向を反映しながら、創造性ゆたかな作品を世に送りだし、世紀末アール・ヌーヴォー芸術の旗手として活躍した。
本作は、ガレのガラス作品が初めて公に認められた1878年、パリ万国博覧会で発表した花器の姉妹作品。自ら「月光色ガラス」と名づけた淡青色のガラスを水の流れに見立て、その上に、ガラス質の顔料を用いたエナメル彩により、大きな鯉を泳がせるようにして描いている。鯉の図案は『北斎漫画』13編から採られており、ガレの日本美術に対する関心の強さをうかがわせる。

エミール・ガレ 1846-1904 《鯉文花器》 1878年頃 ガラス:型吹き、エナメル彩 22.8×28.5cm 底面にE. Gallé á Nancy 受贈(昭和60年度、ロマン・ロラン・エトヴィレール氏)

ドーム《クロッカス文花器》

ドーム工房は1878年、フランス東部の町ナンシーに創設された。当初はガラス製の日用品を製造したが、1889年パリ万博における同郷のエミール・ガレの活躍に刺激を受け、芸術的作品の制作を目指すようになる。すぐれた画家や装飾家にデザインを行わせるとともに技術開発に積極的に取り組み、1900年のパリ万博ではガレと並ぶ大成功をおさめた。
可憐なクロッカスの花を表したこの作品では、ガレのマルケトリー(象眼)技法を取り入れるとともにエングレーヴィング(回転するグラインダーによる彫刻)によって花びらの柔らかな質感を丹念に表現し、また色ガラス粉を斑文状に溶着する独自の技法を使って春らしいピンクの地模様を生み出している。

ドーム 1878- 《クロッカス文花器》 1904-14頃 ガラス:斑文装飾、被せガラス、型吹き、エッチング、エングレーヴィング 12.3×30.2cm 底にDAUM≠NANCY 購入(昭和56年度)

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ルイ・コムフォート・ティファニィ《ランプ・きばなふじ》

アメリカ、ニューヨーク生まれ。有名な宝石商ティファニィ商会創立者の長男であったが、家業は継がず装飾美術家の道へと進む。その後、ガラス工芸の可能性に魅せられてガラス会社を設立し、ファブリル・グラスと名付けたラスター彩のガラス器やステンドグラス、ランプなどを制作。植物や昆虫をモチーフとしたアール・ヌーヴォー様式の優れた作品を残し、アメリカを代表する作家となった。
この作品は、当時ティファニィ・ランプと呼ばれて人気を博したステンドグラス風ランプのひとつ。色調に微妙な変化をもつガラス片のシェードと、ガラスのモザイク片を貼ったベースの組合わせが華やかな雰囲気をかもし出している。

ルイ・コムフォート・ティファニィ 1848-1933 《ランプ・きばなふじ》 1900-10年頃 ガラス、ブロンズ、銅 56.0×79.0cm 購入(平成9年度)

ルネ・ラリック《花器・バッカスの巫女》

フランス、シャンパーニュ地方マルヌ県生まれ。19世紀末にアール・ヌーヴォーを代表する宝飾工芸家として一世を風靡した後、香水瓶のデザインを機にガラス制作の道へと進む。型に工夫を凝らして優れた作品を量産する方法を開発するとともに、優雅でリズミカルな装飾様式を確立し、ガラスの分野においても成功をおさめた。
乳白光を発するこのガラスは、ラリックが1920年代に開発したもの。光の加減で変化する色彩が宝石のオパールに似ていることからオパルサンと呼ばれ、当時人気を博した。ここではギリシャ神話を題材に、バッカスを称え酒宴の踊りに興じるニンフたちの姿を、幻想的な色彩変化を生かしながら緊密な構成であらわしている。

ルネ・ラリック 1860-1945 《花器・バッカスの巫女》 型:1927年 ガラス:型押し 21.0×24.9cm 底にR. LALIQUE FRANCE No.997 購入(平成元年度)

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岩田藤七《貝》

(いわたとうしち)東京生まれ。白馬会洋画研究所、東京美術学校(現・東京藝術大学)金工科、西洋画科に学ぶ。その後「近代的感覚を十分持った無限の可能性を秘めた素材」であると見定めたガラスの道に入り、1931(昭和6)年に岩田硝子製作所を設立。積極的に個展を開催し、ガラス工芸の存在を強く一般にアピールしていった。1954年には日本芸術院会員に推されている。
この作品は晩年に制作した「貝」シリーズの1点。朱と白の溶けたガラスをねじりあわせ、反り返るように成形された巻き貝にはいきいきとした躍動感が感じられる。多彩な色ガラスを用いて宙吹きによる自由な造形を追求した藤七の作風をよく伝える作品である。

岩田藤七 1893-1980(明治26-昭和55) 《貝》 1974(昭和49)年 ガラス:宙吹き 16.0×39.0×34.5cm 購入(平成6年度)

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藤田喬平《飾筥・弥生》

(ふじたきょうへい)東京生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫金を学んだ後、ガラスの道へと進み、伝統的な日本美術の装飾性を取り入れた独自の造形によって、国内外のガラス界で高い評価を得た。
「飾筥(かざりばこ)」シリーズは流動するガラスのなかに色ガラス粒や金、プラチナ箔などをとどめて、琳派の装飾的で華やかな美の世界を表現したもの。巧みな色彩構成が古典文学や雪月花に由来する印象的な作品名とあいまって、日本的美意識を象徴した作品となっている。ここでは白や薄桃色の色ガラスの斑文と金箔、プラチナ箔が散りばめられ、春風に舞う花びらのような印象がかもし出されている。

藤田喬平 1921-2004(大正10-平成16) 《飾筥・弥生》 1982(昭和57)年 ガラス:色ガラス粒と金箔、プラチナ箔による装飾、型吹き 29.1×25.6×19.7cm 底にK. Fujita 藤田喬平 受贈(昭和57年度、作者)

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瀧川嘉子《ゼロ夢幻》

(たきかわよしこ)ソウル生まれ。10歳の時から画家の村井正誠に師事し、慶應義塾大学美学美術史学科在学中にはモダンアート協会などに絵画を出品。ニューヨーク大学大学院を経て帰国後も絵画制作を続けたが、やがて板ガラスを積層して立体を構築する独創的な手法に取り組むようになる。1981(昭和56)年にその成果を個展で発表。以降、光による無限の変容、また「実体と虚像」「存在と無」など相反する性質を併せ持つガラスの両義性を追究し続けてきた。
この作品の題名にある「ゼロ」は2001年のテロで標的となったニューヨーク・世界貿易センターの跡地を指す。「夢幻」は「無常」にしてもよかったと瀧川は言う。ガラスのスパイラルにはどんなメッセージが込められているのだろうか。

瀧川嘉子 1937(昭和12)- 《ゼロ夢幻》 2002(平成14)年 ガラス 31.55×27.35×75.0cm 受贈(平成30年度、作者)

扇田克也《ワタシノアヲゾラ》《アメノヒモアル》

(おうぎたかつや)大阪府河内長野市生まれ。金沢美術工芸大学で鋳金を専攻した後、東京ガラス工芸研究所に学んだ。本作は扇田が住む金沢の総二階と呼ばれる家の造りから想を得たもの。ガラス粒を石膏型に詰め、電気炉で溶かして成形された「家」はどっしりとした重量感を持つ。ガラスの表面は艶消しにされ、光を柔らかく内側に包み込む。屋根に焼き付けられた銀箔は渋い味わいを見せ、雨の日と晴れた日を示す色ガラスの線描が稚拙味を出している。扇田は家族を外敵から守り、憩いとやすらぎを与える場としての家を表そうとしたという。
1991(平成3)年の第4回世界現代ガラス展で日本人として初めてグランプリの北海道立近代美術館賞を受賞した代表作。

扇田克也 1957(昭和32)- 《ワタシノアヲゾラ》《アメノヒモアル》 1991(平成3)年 ガラス:キャスト、サンドブラスト 26.0×25.5×26.3cm/28.0×32.0×25.5cm 受贈(平成4年度、作者)

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高橋禎彦《花のような》

(たかはしよしひこ)東京生まれ、多摩美術大学でクラフトデザインを専攻し、ドイツの工房での経験などを経て神奈川県に工房を設立。母校やアメリカのピルチャック・グラス・スクールで教鞭をとる。
《花のような》は当館企画の“Outspoken Glass”展に出品された吹きガラスによる組作品で、あたかも陶器のような質感をもつ。ガラスという素材の扱いにくさに魅力を見出す高橋は、その巧みな技術から多彩なフォルムを繰り出す。一点一点は簡潔な形態に持ち手や取り外しのできるストッパーがつき、一見実用的にも思えるが、集合体としてインスタレーションされることで個々の性格が表情も豊かに明らかになってくる。当館では出品作から50点を選んで収蔵した。

高橋禎彦 1958(昭和33)- 《花のような》 2002(平成14)年 ガラス:被せガラス、宙吹き、研磨 左端のピース:8.4×10.2×17.5cm(50点組) 購入(平成15年度)

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塩谷直美《嵐の予感》

(しおやなおみ)東京生まれ。多摩美術大学でガラス制作を学んだ。卒業後はガラス片を組み合わせた脆さを感じさせるオブジェを発表し注目されたが、1993(平成5)年から2年間にわたりフランスの国際ガラス造形センター(Cirva)に勤務したことが大きな転機となった。1年間ガラスの代わりに作っていたという詩が突然ガラスのような形と色を持つようになり、キャストによる制作にも初めて取り組んだ。詩から立ち上がるイメージがドローイングされ、粘土によるオブジェ、段ボールによる模型といったプロセスを経て、キャストによるガラスの形となる。
この作品でも、その詩にしばしば登場する月とともに雲や川が象徴的に造形化され、嵐の予感という作者の詩的な世界に見る者を誘いこむ。

塩谷直美 1961(昭和36)- 《嵐の予感》 2001(平成13)年 ガラス:キャスト、サンドブラスト、研磨 14.0×40.0×66.0cm 購入(平成14年度)

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